後の新聞記事でわかった事だが、新たに建設されたアンテナは記念碑だった。

地元のシンボルとして、その存在価値は別にして地元の人々が慣れ親しんできたアンテナが

なくなり、何か残しておきたいとの希望が多くあったそうだ。

8基ある鉄塔(アンテナ)のどれかを残すという案はメンテナンスなども考えると

事実上無理で、違う形で残すと事になった。


先日、初めてその記念碑に行ってみた。

いつも通る幹線道路から細い農道に入り、いつも横目で見ていた記念碑に

向かって車を走らせた。

そこはフェンスで囲われた中にあった。記念碑と言ってもかなり大きい。(高さ25M)

主要部分がバラバラに置かれて保存されているがフェンスの中には入れない。

舗装もされていない駐車スペースが横にあり、そこへ車を止めた。

駐車スペースの入口に石碑がある。「平和協力」この四文字に過去のすべてが凝縮される。

フェンスのなかに送信所の沿革と鉄塔の図面が書かれたパネルがある。フェンスに張り付いて読んだ。


写真にある沿革の全文